しあわせの桜咲く・・
櫻木神社は、社記によれば
平安朝の仁寿元年に、
大化の改新で活躍した
大職冠藤原鎌足公五代の後胤で、
冬嗣公三男の嗣良公(諸説あり)が
この地に居を移した時、
この処に桜の美しい大木があり、
公がこれの木のもとに倉稲魂命を祀り、
その後武甕槌命の神を
祀ったのが始まりであると
伝えています。
倉稲魂命、当国野原ノ中ニ創建成リ、
櫻乃木ノ元ヘ座ス、神武神人皇五拾五代文徳天皇御宇、
仁寿元年初午ノ日稲荷大明神奉祀ス、
此時櫻木ノ中ニ座ス、
名津ケテ櫻木村ト号ス、
後又人皇六拾六代一条天皇御宇、
永祚元年壱拾弐月初午ノ日櫻乃木ノ元ヘ宮所建立ス、
時ニ桜台ト号ス、此時野原開発ノ年ナリ
さくら咲く
櫻の宮に詣づれば大神の恵みいただき大願開花
正暦三年(992年)宮司家文書より、その後、冬嗣公の子孫にあたる藤原朝臣髙梨則忠氏(髙梨相模守)が祭祀を継承したと伝えています。
現社家はその継承から28代目、初代から31代目に当たります。
現存する社家文書によれば、この地は古くには「桜木村」と呼ばれ、後に「桜台村」となり、桜が咲き誇る美しい里だったと考えられています。桜の宮と称へられている所以です。
そして今もなお広大な御神徳により、広くこの地の開発の守護神として御神慮を示され、また野田市最古のお社としてその歴史を重ね、参詣する人みな朝に祈り、夕に感謝の誠を捧げてまいりました。
当地御鎮座の後も「 さくら咲く 櫻の宮に詣づれば大神の恵みいただき大願開花」と、 祈る者後を絶たず各地より多くの崇敬をあつめています。
サクラの「サ」は早苗や早乙女、皐月などの「サ」と同じく、稲に関係し田の神さまである稲霊を表します。「クラ」はその稲霊が鎮まる場所を表します。つまり桜は神の依代(よりしろ)となる木です。
山から田の神が桜の木に降り、豊作をもたらし、人々に生きる歓びと幸福を授けてくれる象徴的な木です。
日本三大桜の一つ、福島県三春町「三春滝桜」の子と言われている桜があります。 当神社御造営に際して平成7年三春の造園屋さんからご献木頂きました。
「三春小桜」と名付けられています。
伊弉諾尊、伊弉冉尊
倉稲魂命
武甕槌命
注意:ペットの参入は現在ご遠慮いただいております(境内ドッグランとなったためご理解下さい)
櫻木神社境内