当神社は社記によると、平安朝の仁寿元年(西暦851年)に、大化の改新で活躍した大職冠藤原鎌足公五代の後胤で、冬嗣公三男の嗣良公が、この地に居を移した時、この処に桜の美しい大木があり、公がこれの木のもとに倉稲魂命と武甕槌命の神を祀ったのが始まりです。その後、公の一族にあたる冬嗣公の八男良世公の孫にあたる藤原則忠氏(高梨相模)が祭祀を継承したと伝えています。現宮司はその始祖から31代目に当たります。
古文書によればこの地は、古くより「桜木」または「桜台」と呼ばれ、古代より桜が咲き誇る美しい里だったと考えられています。桜の宮と称へられている所以です。そして今もなお広大な御神徳により、広くこの地の開発の守護神として御神慮を示され、また野田市最古のお社としてその歴史を重ね、参詣する人みな朝に祈り、夕に感謝の誠を捧げてまいりました。
当地御鎮座の後も
当地御鎮座の後も
さくら咲く 櫻の宮に詣づれば
大神の恵みいただき 大願開花 と、
大神の恵みいただき 大願開花 と、
祈る者後を絶たず各地より多くの崇敬をあつめています。
