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恐み恐みも申す・・・  

恐み恐みも申す・・・   宮司のたわごと その8

恐(かしこ)み恐(かしこ)みも申す・・・ または畏み畏みも申す・・・

 神職が奏上する祝詞(のりと)の結尾はかならずといっていいほどこの言葉で終わります。
これはもちろん神さまに対してそう申し上げますが、広い意味では、自然に対してもそう申し上げます。

 自然については、日々の生活の中で普段あまり意識することなく暮らしています。とくに改めて感謝を表すなどということはめったにありません。しかし、一旦その脅威に遭遇したとき、人は屈服し、恐れを覚え、無力になり、絶望と悲しみを味わうことになります。そんな時、人は自然に対して畏怖の念を抱かずにはいられません。

 哲学者カントはこう述べています。(サンケイ4.18朝刊)
「巨大な自然現象は人間に恐怖心をおこさせる。(中略)しかし、理性と想像力をもって人は自然現象を解明し、恐怖を乗り越えることができる。その時、人は自然に対して崇高な気持ちをもち、その崇高さによって、人格性を高め、自然を支配することができる」と・・・

 このようなことばに触れる時に思うのですが・・・
つまり常に人間側から自然に対しての支配を前提にしているような論理が、西洋社会の基本的な構図になっていることに気付かずにはいられないのです。
なぜ、崇高の対象を支配しようなどと考えるのかが理解できません。
支配と被支配の二分論でくくるような思想領域に陥ってしまっているように思えるのですが・・・

 このような捉え方には間違いがあると思っています。
なぜなら、ものごとをさまざまな原理や要素の中で捉えるとき、相対する発想では捉えきれない多元的なものがあると考えるからです。

 西洋では山に登れば大方征服したといいます。日本では山に登れば山の神々と一体になったといいます。自然現象を知り解明することは重要です。だからといって私たちはほんとうに自然を支配し、コントロールすることができるのでしょうか。人格性を高めて自然を支配しようなどと、うがった驕りのようなものの考え方はもはや限界にきているのではないでしょうか。

 日本は自然災害が多い国です。自然と共に暮らし、生き抜いてきた先人たちの築いた知恵があります。
そんな日本人の“昔のてぶり”というものを忘れないようにすることが、日本の危機管理の原点なのではないでしょうか。
 
 恐み恐みも申す・・・にはいろいろな意味がふくまれます。
畏怖の念はもちろん、人間の自然に対する本質的な考え方や、あらゆる“モノ”に対する人間の精神的行動をあらわします。それはかしこみ、一歩引いて対処しようとする日本人本来のすぐれた斎(いつ)く心の鳴動だと思います。

 自然は私たちに大いなる恵みをもたらしますが、また、時として災禍をももたらします。
だからこそ、恐(畏)み恐(畏)みも申す・・・という実践が必要になってくるのではないでしょうか。